祝!百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録!仁徳天皇陵は仁徳天皇の墓ではない

1日前のニュースになりますが、大阪府の百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録について、ユネスコの諮問機関「イコモス」が登録を勧告しました。6月30日のアゼルバイジャンでひらかれる世界遺産委員会で正式決定します。

大阪府には世界遺産がない

関西地方では、唯一、大阪府だけ世界遺産がありません。ちょっとかすっているのが高野山ですが、これも厳密には和歌山県です。

大阪府で世界遺産がとれそうなものといえば、百舌鳥・古市古墳群のほかとなると、「四天王寺」でしょうね。日本最古の仏教寺院で聖徳太子が建立したお寺だから。大阪はほとんど空襲で破壊されましたし、瀬戸内海の行き止まりで交通の要衝ですから、歴史的に戦火が絶えなかったですから。

堺市と藤井寺市羽曳野市

今回の世界遺産登録された百舌鳥・古市古墳群の地域は、堺市と藤井寺市羽曳野市の2つの地域です。大阪府の南部と南東部に位置する地域で、経済的には貧しい地域です。そういう地域が世界遺産で脚光を浴びてくれることは大阪人としては大変嬉しく思います。

日本トップ3の古墳が集結!

古代大和朝廷の古墳は巨大前方後円墳が特徴です。1位 仁徳天皇陵(堺市)、2位 応神天皇陵(羽曳野市)、3位 履中天皇陵(堺市)の3大古墳が百舌鳥・古市古墳群に含まれています。まるでエジプトのギザの3大ピラミッドみたいです。そのうち、仁徳天皇陵は世界最大の古墳です。

また、全国7位のニサンザイ古墳(堺市)も含まれています。天皇陵に指定されていませんが、まちがいないなく天皇陵です。したがって、宮内庁が管理しています。

半分以上の古墳が喪失

堺市の百舌鳥古墳群にはかつて100基以上、羽曳野市と藤井寺市の古市古墳群には120基の古墳がありましたが、住宅が建ってしまって、百舌鳥古墳群は44基、古市古墳群は45基に減っています。

前方後円墳の墳丘で遊んだことがある

歴史好きの私は堺市博物館に行ったことがあります。そこで昔の航空写真をみて衝撃をうけました。実は、全国3位の履中天皇陵の南に、百舌鳥大塚山古墳という前方後円墳が航空写真に写っていました。なんと百舌鳥古墳群では5番目に大きかった前方後円墳です。前方後円墳だから、おそらく天皇家の墓だと思うのですが、宅地造成で消滅しています。戦後に消滅した古墳の中では最大の古墳です。

百舌鳥大塚山古墳の北には、全国3位の履中天皇陵がある。

実は、親戚の家が近くにあって、小さいときに空き地だと思って、たこ揚げをしていました。空き地の横には木が生い茂った小高い丘があって、探検をしたことがあります。丘のてっぺんまでのぼるとさらに向こうには大きな空き地が広がっていました。

その時は、住宅街に子供が遊べる大きな空き地と丘があるぐらいにしか思っていなかったのですが、実はその丘が、百舌鳥大塚山古墳だったのです。

慌てて堺市博物館を出た後、百舌鳥大塚山古墳のあった空き地へ行ってみましたが、すべて住宅地になっていて跡形もありませんでした。

仁徳天皇陵は仁徳天皇ではない絶対!

巨大な前方後円墳が造られた時期の天皇の系譜をみてみると、応神、仁徳、履中、反正の順です。

しかし、日本三大古墳の築造時期の順がすでに考古学ではっきりしており、履中天皇陵、応神天皇陵、仁徳天皇陵の順です。この順番は動かしようのない事実です。

ということは、仁徳天皇陵と思われるお墓は、履中天皇か反正天皇の墓と言うことになります。

じゃあ、仁徳天皇の本当のお墓はどれなのかということになると、たぶん履中天皇陵か応神天皇陵でしょうね。

私は、百舌鳥・古市古墳群にケチをつけるつもりはありません。この巨大前方後円墳が天皇の墓であることは間違いないです。地方豪族がこんな大きな前方後円墳をつくったりしたら睨まれますし、皇子や天皇家の親戚の墓にしても大きすぎます。

そもそも現在の天皇陵の比定は明治時代になってからおこなわれたものです。当時の比定が間違ったまま、ズルズルきてしまっているのです。

たとえば、日本の天皇系譜で重要な継体天皇陵は、茨木市の古墳が比定されています。しかし、本当の継体天皇陵が隣の高槻市から見つかりました。宮内庁が強情にも訂正しなかったため、本当の継体天皇陵は立入発掘調査までされてしまっています。

4世紀末から天皇家がすでに日本を完全に統治してきたことは日本の歴史の特色だと思いますし、世界に誇れる遺産だと思います。天皇家の歴史は日本の歴史ですし、私たちのルーツを知る上でもはっきりさせてもらいたいものです